君さえ:短編集

お兄ちゃんの場合

 怒涛のリスポーンキルを見ている。
「あっスナァ⁉︎ ちょっスナァ!! ホァ、せめて息継ぎスナァーッ!!」
「あの、あの、兄貴」
「ヒ××は黙っとれ」
「はい……」
 普段はまあ、ほら、俺がばかすか殺すからアレだけども。
 兄貴が直接ドラ公を殺すところって、はじめて見たかもしれん。いやそもそも、兄貴は多忙でなかなか会えないというのもあるし、……兄貴が殺す前に俺が殺しているというのも、あるし。
 あ、兄貴が止まった。
 ドラ公の首のヒラヒラ(いまだに名前が覚えられない。クラ……なんとか)を鷲掴みにして、無理矢理立たせている。ドラ公のほうが一〇センチ近く? 以上? 身長が高いので、兄貴の腕がつらそうに見えるけど……。右腕は怪我してるんだから、腕に良くない姿勢はとってほしくない。
「ドラルク」
「はい、お義兄様」
「おみゃーが兄と呼ぶなァ‼︎」
 兄貴の腹パンがドラ公にクリーンヒット。
 ドサリと足元に落ちた砂を兄貴が踏みつける。それはリスキルじゃなくて死体蹴りなんじゃねえだろうか。リスキルは戦術としてギリギリ認められるけど死体蹴りはフツーに晒されるからやめなさい、とはドラ公の談だ。ゲームの話だったはずだが。
「――俺も、なかなか休みを取れんくてな。悪かったと思うとる」
「ブエー‼︎ ……は、はい」
「ヒ××のことも、任せたのは俺だしな。こういうことが想定できないわけじゃにゃあし……、いや、想定は、していなかったが」
「はい……あの、足を……アアアーッッッ」
「兄貴、その」
「ヒ××は黙っとれ」
「う、う」
 ごりごりごりッ! と踏み潰される砂。
 ジョンを連れてきていたら涙の海ができてしまっていたかもしれない。兄貴へ報告するために出かけると聞いて、グッドラック、とサムズアップしていた丸がかわいそうだ。いや今現在一番かわいそうなのはドラ公なんだが。
「ど、ドラ公、生きてるか?」
「現在進行形で死んでるよーッ!」
 しゃがみこんで砂に手を伸ばす。すいと兄貴の足が退いて、のたくっていた砂がへにゃりと落ち着いた。すぐさま再生する元気はなさそうだ。ジョンがするように砂をまとめてやっていると、ナスナスとゆっくり再生しはじめる。ドラ公にしては行儀悪く、片膝を抱えて座り込んだ。
 そのあいだ、兄貴はじっと俺たちを観察していた。
「いえ、なんというか、おに……隊長さんにブッ殺されるのはもう覚悟の上だったんですけど。まさかここまで念入りだとは」
「当たり前じゃろうが。俺のかわいい弟に手を出しおって」
「かわ」
 え。
 今兄貴が俺をかわいいって言った?
 しゃがんだまま兄貴を見上げると、ぐにゃりと兄貴の口が歪んだ。え、どういう感情なんだろう。困惑して、なんとかその意を汲み取りたくて必死に表情を伺っていると、ぐしゃぐしゃと髪を混ぜられた。
「……そんな顔で見るもんじゃにゃあよ」
「あ……にき?」
「ヒ××君。君に報告してなかったんだけどさ、私が着払いで送られてきた時あったでしょ?」
「?」
 しゃがんでいるのが辛くなってきたので、ぺたりと地面に座り込む。
 兄貴だけが立ったまま、俺たちを見下ろす格好だ。
「……ん、あー、ずいぶん前の話だな。覚えてるけど」
「あの時ね、隊長さんとはじめて会ってさ。私のことを、君の本で……ロナ戦で読んだ、って教えてもらったの」
「おいカニ」
「隠されていたつもりなんだろうけどね、寂しそうだった。だって、君のことを本でしか知らないんだ。隊員であるヒナイチ君や半田君は君といーっぱい関わっているのにさ、自分は本でしか知らないんだから、寂しいよ」
「え、……と、兄貴、」
「……、」
 さみしい。兄貴が、俺と関われなくて。
 ドラ公の言葉は信じていいときとダメなときがあって、俺はいまだにその判断がうまくできない。騙されて大変なことになることがしばしば、というか、かなりある。
 だけど。
 ドラ公が、『ロナルド』じゃなくて、『ヒ××』に向けて話しているときは。
 信じていい、きっと、嘘は言われない。
「……あの、えっと、俺、」
 兄貴が退治人を引退したのは、俺のせいだと信じこんでいた。そんな俺が、兄貴にどんな顔をして自分のことを話せばいいのか、わからなくて。仕事で顔を合わせるときも他人行儀な会話しかしていない。
 嫌われたと思っていた。
 仕事で話すのも嫌なんじゃないか、って。
 もちろん、それも兄貴が事務所に来てくれた日までの話、だけど。
 だけど、その間。兄貴はどんな気持ちで俺を見ていたのだろう。
「――ッ、あ」
「おいコラクソカニ」
「あああ違う、違うんだよヒ××君、君を責めたいわけじゃないんだ。ただね、君のこと、心配してくれる人はいっぱいいるんだよって話がしたくて」
 兄貴がまたドラ公の首のヒラヒラを掴んでいる。ダメだ、悪いのは俺なのに、そうだ、だからやめさせなきゃいけなくて、はくはく空気を食むけど声が出ない。代わりにじわと視界が滲んで、ふたりの姿が揺れた。
「……にいちゃ、ん、あの、」
「……、うん。どうした、ヒ××」
 ひく、と喉がひきつる。
「どらこ、は、わるくない、から」
 はなしてやって、となんとか伝える。
 ドラ公を解放した兄ちゃんも、俺に目線を合わせるために床に座り込んだ。大の男三人集まって、床に座り込んでいる。側から見て相当滑稽な図になっているだろう。
「……ごめんなさい。黙って出ていって、連絡もしなくて」
「おう」
「でも見習い時代はずっとギルドに居たんでしょ、隊長さんが会おうと思えばいつでも会えたんじゃオブェ‼︎」
「余計なこと言うんじゃにゃあよ。あ?」
「ハイすみません」
 ドラ公が死んだところで、ジョンとか親父さんみたいに名前を呼んで悲しんだりとかは全然、まったくしないんだが。でもちょっと、あんまり俺以外に殺されるところは見たくないのかもなあ、と思った。マジでちょっとだけだけど。
「……今は、違うじゃろ。RINEだって未読無視やめてくれたんじゃし、ヒマと三人で会ったりもしとる。それで十分じゃよ」
「うん……」
「え、未読無視してたの? それはひどいよ君」
「だって、なに書いてあるのかわかんなくて怖くて」
 トークルームさえ開けなかったんだ。
「まー仕事が重なった時に、お疲れって送ったりするぐらいだったんじゃが」
「……君のことだからダメ出しされたと思って開けなかったんだろ」
「……そうです……」
 ぺしょりとへたれた俺の頭を撫でてくれる手があたたかい。ということは、兄ちゃんの手だ……! わ、わ、どうしよう。嬉しい。
「本当はな。……こうやって撫でて、お疲れって言ってやりたかったんじゃがの」
「……兄ちゃん、」
「まあ、兄弟なのをバラしとらんから今後もまだ無理じゃが!」
「ん、ふふ。うん、……」
「……、」
 ちり、と。
 吸血鬼に首筋を狙われる独特の感覚。殺気とかとは微妙に違うんだ。言葉にするのはとても難しくて、ロナ戦での描写にいつも悩むもの。
 飢餓感を押しつけられるような、とか書いたりする。まるで喉が渇いてるのはこちらのほうなんじゃないか、みたいな感じがするから。
 でも、それがドラ公からしたのって、はじめてかもしれない。だって、悩んでへんなに相談するくらい、ドラ公は俺のうなじになんか興味を持たなかったはずだ。いや、うなじと吸血欲はまた別か?
 わしわし撫でられるままドラ公を見る。いつものあたたかいものを見るような目だけど、口が歪んでいた。なんだ?
「ドラ公?」
「ん? ああ、いや。……ヒ××君」
 ちょいちょい、と手招きされて、その呼びかけが『俺』に向けてのものだったから、疑わないまま身を寄せる。枯れ枝みたいな腕が俺に巻きついて、あ、つまり、抱きしめられていた。兄ちゃんとは違う、つめたい体温。
「なんじゃドラルク、いい度胸じゃの」
「ふふ、すみませんね。かわいい愛し子が、大事なお兄さんに撫でられてくふくふ幸福そうにしているものですから。ちょっと尊死しそうだったので」
「んな」
 ぼふと赤くなる俺を、ドラ公は無視である。ぎゅむ、と頭を肋骨に抱え込まれるが、正直簡単に振り解けそうだ。とはいえ、これが全力とわかっているので抵抗しない。
 ふう、と兄貴が嘆息した。
「――なに。俺はな、おみゃーたちを否定する気は最初からにゃあよ。ただちょっと、かわいい弟に手を出しやがってこのクソの気持ちはやっぱりあったんでな、殺させてもらったが。……アポカリプスしないだけマシだと思っとくれ」
「アポカリプスってなんなんです? ロナルド君もやってたけど」
「報告も、遅いだけでちゃんとしてもらったし。怒ることはなんもない!」
「ねえアポカリプスってなに?」
「ドラこう、あの……そろそろ離せよ……」
 兄貴の前で恋人に抱きしめられ続けるの恥ずかしすぎる。殺して抜け出せばいい、そんなことはわかってるけど、こういう空気じゃそれも憚られてしまうのだ。
「そういうわけで、ヒヨシお義兄さん。弟さんは私が幸せにしてみせます」
「おう。泣かせるたびに一〇〇回殺してやるからな」
「ヒィーッ本気の目」
「……、ふはっ」
 ガチャリ、と鍵が開く音がした。玄関から聞こえてくる「た」の一言はたぶん「ただいま」を極限まで端折った、ヒマリのもの。妹にまでこの状態を見られるのは恥でしかないので、流石のドラ公も俺を解放してくれた。
「小兄、ドラルクさん。……?」
 なんで居るの、が言葉にすらなってねえ。
「あー、そうだ、ヒマにも言ってやれ、ヒ××。ヒマは手洗って荷物置いてこい」
「り」
 くるりと踵を返し洗面所へ向かうヒマリ。うう、そうか。兄にするなら、妹にもするのか、そうだよなあ。ああ、緊張する。
 戻ってきたヒマリは、相変わらずなにを考えているのかわからない顔で、すとんと床に座り込んだ。なんで全員で床に座ってんだろ。
「あー、ヒマリ。あのさ、……俺、ドラ公と――パートナーシップ、出すんだ」

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