君さえ:短編集

悪友の場合

「いや〜、まさかヒ××が一番乗りとはなぁ」
「やめろよカメ谷……」
 じうじう焼ける焼肉の向こう側で、ヒ××が顔を真っ赤にしている。
「一時間でフラれた伝説の男がな!」
「やめろってばあ!」
 焼肉奉行の半田は恐ろしいくらいに静かに、焼けた肉をひっくり返していた。
 てっきり発狂するかと思ったんだけど。カメラをうきうきと構えたのに、半田は一言「そうか」としか言わなかったんだ。
 ヒ××――ロナルドから誘われたのは、高校を卒業してからはじめてのことだった。いつも、俺とか半田から誘うばかり……まあ大抵、ていうか一〇〇パーセント罠な訳だが、ヒ××は必ず来てくれる。退治の予定をその日は入れず、事務所休業の旨を素早くホームページに書き込むのだ。
 ――焼肉に行きたい。その時に、大事な話がある。
 グループのRINEに書き込まれたそのメッセージを受けて、俺も半田もすぐ了承した。だって、はじめてなんだもん。
 ヒ××は基本、要求ということをしない。してはいけないと思っている節がある。そんなヤツの望みを叶えないなんて、友達じゃないだろ?
 高くも安くもない、フツーの焼肉屋だ。せっかくなので食べ放題にした。ヒ××も半田もよく食べるからね。俺は普通の一般人なんで腹も普通です。
 烏龍茶で乾杯して、喉を潤して――ヒ××は、ゆっくりと口を開く。
「どらこー、と。パートナーシップ、出すことになった」
 俺の感想としては、お、ついに! って感じだ。むしろ遅いくらいだよね。同居しはじめて何年経つんだか。
 何も考えず脳直でよかったじゃん、と言ってから、隣の歩く地雷を思い出す。やべ。爆発して店に迷惑をかけなかろうか、と冷や汗を垂らしながら、アンド爆笑ものの反応を期待してカメラを構えた。
 だけど、反応は前述のとおりである。
 それからすぐに肉が運ばれてきて、半田は奉行様になった。
「手を出すなと言っただろうがヒ××!」
「えええこれいけない? もう食べれるんじゃない?」
「俺が許可を下すまで食うことは許さんと言っているだろうがァ!」
「……いつも通りだな、ほんと」
 違うところといえば、ロナルドと呼ばないところだろうか。
 自然に。ごく自然に半田がヒ××と呼ぶから、なんとなく俺もつられた。
 あの国語テスト事件から、俺たちはほとんどヒ××と呼ばなくなって。先生までもがロナルドと呼ぶようになり。ヒ××自身も気に入ってくれたのか、退治人としての名前にまでした。銀髪碧眼という見た目から、本名で活動していると思ってしまっているファンさえいるレベルだ。
 ヒ××の影がどんどん薄くなっていくのを、俺たちはずっと見ていた。
 それが、あの日から。
 あれはいつだったかな。ドラルクが転がり込んできてからだ。
 ロナルド様の仮面がばりばり剥がれて、ヒ××に戻っていく姿。俺は仕事ができるプロなので、週バンに載せるのはあくまでロナルドの姿だ。ヒ××の姿は撮らない。いやそれは嘘、週バンに載せない、プライベートな写真は撮ってますけど。
 多少、多少ではあるものの、罪悪感もないわけじゃなかったから。いや命名したのは国語の先生だし、それを持て囃したのは半田だけど、乗っかってロナルドを流行らせる片棒を担いだのは俺だ。
「……カメ谷」
「ん?」
「あの、さ。記事に、する?」
 半田にダメ出しを食らってすごすご箸を置いたヒ××が、しっかりした体躯を縮こませながら言う。そうそう、この身体もすごいよね、吸血鬼に育てられちゃってさ。
「んー」
「検討しないで!?」
「美女との熱愛報道なら絵になるけど、ガリヒョロのおっさんだからなあ」
「ねつあいほうどう……」
「? パートナーシップ組むくらいなんだから、付き合ってるんだろ?」
 ボ、って真っ赤になるのは面白いので写真を撮る。
「つ、き、……あってる……と、思う」
「なんだよ自信なさそうだな。キスとかしないの? ……いや待って、想像したくないからやっぱ言わなくていい」
「す、する……」
「言わなくていいって言ったろ!」
 ウオオオオ脳裏にふたりのキスシーンが想像されてしまいウワアアアアアーッ!! 友達とおっさんのキスシーンはキツいー!!
「おい、焼けたぞ」
「んあ、サンキュ」
「ありがとー」
 ナイス半田。思考が肉に切り替わる。
 タレにくぐらせ、白米にバウンドさせてから、食らう! うまい!!
「うお〜普通にうまい」
「俺が焼いたんだ、当たり前だろう」
「なあなあ半田にんにく焼いて」
「帰ったらドラルクさん死なない?」
「死ぬけど家じゃ絶対食えねえもん」
「旦那を殺す気でにんにく食うなよ」
「だッ」
 かららん、と箸が落ちていった。
「だん、だんな」
「おいおい酒飲んでないのに酔っちゃったのか? それとももしかしてドラルクさんが奥さんだった?」
「家事はドラルクがしているが、今は主に夫と書いて主夫とも言うからな」
 おや、半田が乗ってきたぞ。今までダンマリだったのに。
 新しい肉を網に乗せながら、半田は言う。
「男同士だからどちらも旦那でいいのではないか」
「たしかに?」
「う、う」
 そしてキャパオーバーになったらしいヒ××。ぷしゅう、と煙を出している。
「ヒ××がしているのは洗濯物を干すこととゴミ出しくらいだからな。そのうえ買い出しもドラルクに押し付けようとする」
「見てきたように言いよる」
「メビヤツを通して見ているからな!」
「この公務員ほんとどうにかしたほうがいいよ、ヒ××」
「あーでも冷蔵庫の中身把握してくれるのは助かるんだよなあ、俺もドラ公も結構賞味期限とか忘れるタイプで」
「ストーカーを有効活用している……」
「ていうかお前もほぼパパラッチだしなんか……もういいやって」
「ぐうの音も出ない」
 ……、ん?
 半田のリアクションが薄かったのって。
「……結婚することもメビヤツで見て知ってた?」
「ああ」
「ああじゃないんだよな」
「届にサインしようとして諦めた回数も数えている」
「半田ァアアアアア!!」
「サインしようとして? っていうと?」
「求婚したのはドラルクからだ。受け入れるかどうかこの根性無しはひたすら悩んでいて傑作だったぞ」
「あー! あー!!」
「ほーん。なんでそんな悩んだの? ドラルクさんずっとめっちゃわかりやすかったじゃんねえ」
「えっ……わかりやす……?」
「えっ? ……ああいや、ヒ××は伝説の男だもんな」
「それやめてくれよォ!!」
「焼けたぞ」
 うまい!
 ハラミうめ〜。カルビの脂がだんだんキツく感じるようになりました。
「……あの……ドラ公って、そんな……でした?」
「そんなでしたよ?」
「そんなだったな」
「おぅア……」
「冷めるだろうが早く食えヒ××」
「はい……」
 真っ赤な顔のまま泣きながら肉を貪るイケメン。
「……たまに……飯、食ってるときとかに」
「お? ノロケか?」
「なんか……妙に優しい顔で見てくんなあとかは、思ってたんだけど……」
「ノロケじゃん」
「でも俺、まさかドラ公が、そんなふうに思ってくれるって、思ってなくて」
「貴様は思い込むとそればかりになるからな。悪癖だぞ」
「半田に言われたくはないよな」
「だから、ドラ公が本気なのか、後悔しないのか、わかんなくて……書けなくて、」
「……、」
「次が焼けた」
 ロース、安定のうまさ。
 今度はヒ××もすんなり口に運ぶ。
「……まあでも、書いたんだろ。じゃあいいじゃん、お幸せにってやつだよ」
「うん、……うん」
「ていうか半田、知ってたのに揶揄わないんだな? いつもみたいにセロリ持ってウオーってやるのかと思ったのに」
「俺をなんだと思っている。……」
 少し考えるそぶりを見せて、奉行様が肉をひっくり返す。肉の様子に悩んでたのか会話の流れに悩んでたのかちょっとわかんない。
「……悩むところを、見ていたからな。真剣に考えた上での結論を嘲笑ったりするはずがないだろう」
「半田……」
「いやそこは見てんじゃねえってツッコむとこなんだよ」
 じうじう焼ける肉の向こう側で、ヒ××は幸せそうに笑った。

コメント