くちづけの記憶


「ええっと、荷物、お前ならとりあえずゲームがあればいいのか? うーん、今なにやってたんだかわかんねえな。ジョン知ってる?」
「ヌ……、」
 ジョンはなぜかずっとかなしそうだ。いや、なぜかじゃないか。大事なご主人さまの記憶がなくなっているんだから、かなしいのは当たり前だった。でも、城に帰れるならうれしいと思うんだけど。散々ウサギ小屋とバカにされた事務所だ。いやジョンはそんなこと言わない、言ったのは、――やめよう。
「あ」
 城。
「そうだ、どらこ、ドラルク。お前に謝らなきゃいけないことがあって」
「……なにかね」
 警戒されてんなあ。
「ごめん。俺、お前の城ぶっ壊しちまって」
「は?」
「うん、だからお前、ここにいたんだ。家がなくなったから、泊まってただけ。安心……はしねえか、城がないんだもんな。でもとにかく、それだけだから」
 それ以外なんか、なにもない。
 あのやわらかい視線も、ゆびさきも、もうないのだ。ドラ公のなかにはない。
 大丈夫。
 なくすのは二回目だから。
「だから、親父さんとこに帰ろ。そのほうが、落ち着くだろうし」
「……なぜ君のような人間が私の城を壊すようなことになるのかね」
「ん? あ、そうか、この服じゃわかんねえよな。俺退治人でさ、お前のこと退治しに行ったんだ」
「はあ!?」
「え、そんな驚くか? この体格でサラリーマンはなくね? 趣味が筋トレの人か」
「いや、いやいやいや。自分で言うのもなんだが、私は引きこもってゲームするだけの善良な吸血鬼だぞ。なんで退治なんかされなければならないんだ!」
「え、マジで自分で言うのもなんなんだよ。いやほら、まあ、色々誤解があって」
「誤解で私の城をぶっ壊したのかね!?」
「うん。だから、ごめんな。……お前が請求したいなら、賠償とかもするよ。お前のお袋そういうの詳しいだろ?」
 あ、しまった。
 俺がなんで母のことを知ってる、っていう、不愉快な顔だ。
「……あー。ほら、一応預かる身として、家族さんと挨拶的な、さ。そういうの」
「……、」
 ごめんな。
 気持ち悪いだろう。吸血鬼にとっては不愉快な色をした人間――しかも退治人が、自分と暮らしていた。しかも両親といつのまにか関わっている。俺で言えば、知らないうちに兄貴とヒマに接触されていたようなモノで、うわ、マジで気持ち悪いなそれ。
「ごめんな、」
 声に出して、謝る。だけどドラ公は不愉快だという眉間の皺を、より深くするだけだった。ジョンが不安を隠さずに俺とドラ公を見比べていて、かわいそうだ。
 はやく解放してやらねえと。
「そういうわけだから。キッチンの家電とか、だいたいお前のやつだから持ってけ。俺どうせ置いていかれても使えねえし」
「……使えないモノをどうして置いている」
「そりゃ、お前が使ってたから。向こうでも使うだろ?」
「お父様が暮らしているなら、家電くらい揃っているだろ」
「ん、たしかに。処分するか。買ったの俺だし『お前』も怒らねえだろ」
「なんで!?」
ヌンヌなんで!?」
「なにが?」
 ジョンまでびっくりしてる。俺そんな変なこと言った?
「だって、俺使わねえし」
「だからって処分しなくても、いや、お前だって料理くらい」
「しねえ、つーかできねえもん。レンチンくらいしかできねえ」
 そっか。俺を知らねえから、俺が料理できないことも知らねえのか。やっぱり変な感じだ。でもたぶん、この部屋で一番『変な感じ』だと思ってるのはドラ公だろう。だから、表には出さないように努める。
「……自分じゃ使わないものを、買ったの? 私が使うから?」
「そりゃお前が、……いや、お前じゃないけど。使うから買えって言うし、ジョンのために必要って言われたら買うしかないじゃん」
「……、ジョン」
ヌヌヌちがうヌンヌリヌジョンよりもヌヌヌヌヌンヌヌヌロナルドくんのため
「え、違う違う」
 なんでだよジョン、合わせてよぉ!
 だって、おかしいだろ。自分の城をぶっ壊した退治人のために料理を作るとか。
 おかしかったのはいままでで、やっと正しいかたちに戻るのに。
「まあとにかく。要るものも要らねえものも俺にはわかんねえから、荷造りは自分でしてくれ。手伝えなくてごめん」
「そんなことより」
「?」
 そんなことって。いま一番大事なことじゃねえのか、お前の荷物だぞ。
「私はまだ、君の名前を君から聞いていないのだけれど」
「へ? あ、ああ。俺はロナルド。よろしくな……あ、いや、あとちょっとだけど」
 不思議な心地だ。でも、べつに俺の名前なんかどうでもいいだろ。なのにドラ公は、ろなるど、と俺の名前を口のなかで転がしている。なくなっちまったなら、なにになるわけでもないだろうにさ。俺を思い出そうとしてくれるみたいな、そういうのは、よくねえよ。期待しちゃうだろ。
 ああ、そうだ。ヒナイチと、フクマさん。
「あいついま居んのかな」
「は? おい、どこに」
「事務所。ちょっと声かけないとならねえやつがいるから」
 事務所に向かい、ヒナイチの出る床を叩く。反応なし。名前を呼んでも出てこねえ。クッキーありゃ出てくんのか?
「居ねえのかなあ。ジョン〜、クッキーある?」
「……なんで床に話しかけているのだね」
「お前の監視してるやつがここに半分住んでて。居なくなるなら言わないとだろ」
「床に!? 半分ってどういうこと!?」
「監視にはツッコまねえの?」
 ジョンがクッキーを持ってきてくれたけど、反応なし。こりゃ本当に居ねえらしい。
 仕方ないので一枚つまむ。うまい。
「……このクッキーは」
「お前が焼いたやつ。……この味ともお別れだな」
 あ。ん。ちょっと寂しそうな感じ出ちゃったかも。よくねえよくねえ。吸血鬼が出て行くのに寂しがる退治人なんか、おかしいだろ。
 事務所に移動していたのはちょうどよかった。誤魔化そうと口を開こうとして、窓がノックされる。鍵を開けてやれば、そいつは大声を張り上げた。
「ドラルク!!」
「お、とうさま……」
 ドラ公は本当に来た、って顔だ。まあ信じちゃいなかったか。
 蝙蝠の羽から人の腕に形を戻しながら、親父さん――ドラウスが入ってくる。
「おいクソポール、なんだあの意味不明な電話は」
「説明すんのめんどかったんだもん。なんかドラ、ルクが、記憶無くなったらしくてさ。俺もよくわかんねえんだけど」
「ええ!? ドラルク、なにがあったんだい」
「いや、私は、なにも……」
「で、ここにいる理由とか、全部わかんねえらしい。それなら親父さんの城に帰ったほうがいいだろ? 連れて帰ってくれよ」
「は!?」
 なんでだ、って顔をして、親父さんが詰め寄ってきた。近え。俺は黙って首を振る。ドラ公はもう、知らねえんだよ。それを視線に込めて。
「いい機会じゃん?」
「いや、……いや! 耐性のあるドラルクがかかるとは思えんが、催眠とかでは」
 わなわなと口を震わせて、結局いや、としか言わなかった親父さん。ドラ公に向き直って、ぱん、と両手を鳴らした。錬金術師かお前は。
「どう?」
「どう、と言われましても……」
「なにしたんだよ」
「いや、催眠を解こうと……」
 わけがわからない、って顔してるドラ公。
「解けてねえみてえだな。つか催眠がどうかもわかんねえし」
「……ロナルド君。私は気を失っていたと言ったね。どうしてそうなったんだ」
「え? ああ。なんかわかんねえけど、頭が痛いって言い出して」
 そう、今日は休業日だ。
 いつもどおり、ドラ公が飯作ってくれて。俺とジョンで食べた。ソファでにっぴきダラダラしてたら、急に頭が痛いって。
「んで、死ぬかと思ったら気絶したから、とりあえずソファに寝かしてさ。起きたらそうなってた」
「はぁ……?」
 飯のくだりは適当にぼかして伝える。親子揃ってなんじゃそら、って顔だ。やっぱよく似てんだよなーこのふたり。いいなあ、親子。
 なんじゃそら、に関しては、俺もだし。
「VRCとかも考えたけど、ヨモツザカが真面目に治してくれるとは思えねえしさ」
 だったら親父さんとこに帰れば、いろいろと元通りになる。
 なにもなかったことに。
「……ポール君。君たちは」
 言葉にされる前に首を振った。別れた、っていうか、そもそも付き合ってんのかもよくわかんねえし。ちょっとセ、……えっちして、すきとかそういう冗談を言いあうだけの関係。たぶんセフレってやつだろ。知らんけど。
 だから、なくなったところで、変わらない。
「ヒナイチにもフクマさんにも、まあ、上手く言っとくよ。新横にいなけりゃヒナイチの監視対象にはなんねえだろうし、……ロナ戦は……なんかうまいこと書いとく」
「ろなせん?」
「ああ、それも……ポールが書いている本だよ。お前も出てるんだ」
「というか、ポールというのは? 彼のことですよね」
「なんも覚えてねえもんな。まああだ名みたいなやつだよ、気にしなくていい」
 お前はなにも気にせず、もとの暮らしに戻ればいいんだ。
「そういうことだから、向こう戻るか。まだなにも荷造りできてねえし」
「……その必要はないよ」
「え?」
 ドラ公が俺の腕を掴む。相変わらず弱っちろい、すぐに振り解ける強さ。
「私、帰らないから」
「は?」
「いいですよね、お父様。お父様もここに居るのを許してくださっていたんでしょ」
「ああ、もちろん。私もそのほうがいいと思う」
「え、なんで?」
 お前だって帰りたいだろう。そう尋ねると、首を振られる。
「君をひとりでここに残すのはいやだね。君が栃木に着いてくるならいいけど」
「はあ? なんでだよ。もしかして、見てねえから城壊された実感がないのか。なら親父さんに跡地見せてもらってくれば?」
「そうじゃない。君、意外と物分かりが悪いんだな」
「あん?」
 なんで急に喧嘩売られんの。ドラ公っぽいこと言うなよ、いや、こいつはドラ公だ。バグりそうな頭を抱えたのは無意識だった。
「お父様の前で言うのもなんなんだが、」
 ドラ公の指が伸びてくる。抱えた手をやさしく剥がされて、顎をくい、と持ち上げられ。ちゅーするときの仕草だ、と思って、息を呑んだ。お前まさか、親父さんの前ですんの? そんな俺の怯えを汲んだか、ちゅー自体はされなかったが。
「どうも私、君に惚れてしまったみたいなんだよね。一目惚れってやつだな。だから君を手に入れるために、ここに居座らせてもらおうと思う」
 正拳突きでぶっ殺したけど、俺、悪くないだろ?

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