紛うことなきラブストーリー

 虚空に溶けて消えるだけだった、『ただいま』ということばに、『おかえり』という返事が返ってくるようになったこと、とか。
 それだけじゃない。温かい食事があるんだ。いやまあ、カップラーメンとかレトルトも温度はある。俺が言いたいのはそういうことじゃなくて。俺がありつけるのはただのおこぼれだが、それでも、誰かが誰かのために、愛情を持って作った食事。ドラルクが、ジョンのために。美味しいかい、とドラ公が尋ね、ジョンはヌイシーと応える。たぶん、ヌイシーは俺がいちばんに理解したヌー語だった。
 食事するジョンをあたたかく見つめる、ドラ公の視線。それが自分にも向いていることに、気付いたのはいつだろう。初めの頃は、足りてるかとか、口に出して確認されていたはずだ。でも今じゃ、メインで腹一杯とわかればデザートは出てこないし、デザートを出しても足りないとわかればもう一品追加で出てくる。流石の俺も、それには素直にありがとうと言えるから……たぶん、おそらく、食に関しては、それなりに友好な関係を築くことができていると、思い、たい。うん。
 どんなに疲れて、へとへとで。昔なら、飯も風呂もいらないからすぐ寝ちまおう、なんて時でも。あいつらが、おかえりって迎えてくれて、風呂に暖かい湯が張られていて。風呂から出れば、おいしいご飯が待っているような。
 そういう生活に、慣れた頃だった。たしかメビヤツにお願いして、映画を見ようということになって。どうせクソ映画なんだろうな、と思いながらもドラ公に見せられたそれは、なんと王道の恋愛ものだった。それも、人間と吸血鬼のだ。俺だってタイトルだけでなく、大筋を聞いたことのあるようなそれ。お前もこういうの興味あるんだな。そう自然と漏れた本音を、ドラ公はどう捉えたんだろう。
 自然に顎を掬われて、キ、……ちゅー、されてて。一緒に見てたはずのジョンが、いつのまにかメビヤツを連れて部屋を出ていたことに、すべてが終わってから気がついた。その、えっと。俺、ドラ公と、えっちなこと、してたんだよ、な。なんで抵抗しなかったのか、自分でもよくわかんねえけど。でも、抵抗したら、おかえりも、風呂も食事も、全部なくなっちまうのかな、って。それは、いやだった、から。
 保身のための行動だった。醜いな、と思う。
 全部終わって、あいつにおやすみと頭を撫でられてようやく、俺はドラ公を好きになっていたと気付いたんだ。でも、もう、遅かった。好きでもない相手と、映画の雰囲気で身体を重ねるようなやつだと。そう、ドラ公に思われちまったから。それに、ドラ公はべつに、俺が好きなわけではない。アイツの好みは無駄に聞かされたのでよく知っている。うなじがきれいで、血のうまそうな、女の子――俺とは、対極のもの。きっとドラ公が俺を抱いたのなんて、アイツの享楽の一環でしかないんだ。映画を見て、そういう気分になって。なんとなく、俺みたいなゴリラでも、抱けるなって思ったんだろう。それはまあ、ありがたい。もしかしたら、二回目があるのかもしれないから。期待から、俺はいつのまにか、恋愛映画を借りていた。ポピュラーな、人間と吸血鬼の、ハッピーエンド。俺とドラ公の迎えない終わり。
 そうして、俺とドラ公は、いわゆるセフレになった。シたくなったら、恋愛映画を観る。なんだかそれは秘密の暗号みたいで、ちょっとだけ楽しかった。映画に誘われたのにいつものクソ映画だったときは、まあ、ちょっと落胆したりもしたが。
 家に帰ったら、すきなひとがおかえりって迎えてくれて。すきなひとが、風呂と飯の用意をしてくれている。シたくなったら暗号を交わして、予備室に篭って、さ。
 好きとかそういうことばを、想いを、絶対にもらえないとしても。
 俺はたしかに、しあわせだったのだ。
 
 ノックの音に、どうぞ、と声をかける。
「こちらにドラルク様がいらっしゃると伺ったのだけれど」
「いらっしゃ、え? ドラこ……ドラルクですか?」
 ドアを開けるなり言い放ったのは、クラシカルなドレスの女性だった。いかにもな黒マントで吸血鬼と主張している。多分俺の客じゃなくて、ドラ公の客だ。なんだよ、来客があるなら言っとけよな。なんも聞いてねえ。
「すみません、今裏に居るので……」
「そう」
 どうぞ、と言う前にソファを陣取られて、ちょっとウッとはなったが。まあでも、ドラ公の知り合いっつうか、本人も親父も爺さんも勝手にソファで俺を待ってたしな。ツッコミを入れる気にもならず、俺は苦笑いのまま居住スペースの扉を開ける。
「ドラ公」
 案の定、というか。ピコピコ音が聞こえてたからわかってたけど、ドラ公は当然のようにゲームをしていた。なのに俺が声をかけると、すぐに手を止めて返事をしてくれる。前はゲームから視線を外さなかった気がするのに、いつの間にそうなったんだろうな。なんてどうでもいいことを考えている場合ではなかった。
「なんだね」
「お前のお客さん来てるけど。来るなら来るって教えてくれよ」
「ハァ? 私の客……? お父様の気配ではないが」
「ん。なんか女の人」
 女の、と口の中で反芻したドラ公が、ぎゅっと眉を寄せる。なんかこう、まずい時の顔じゃん。なんだ?
「ドラ公?」
「ロナルド君、ちょっとこっちに居てくれ」
「は?」
 なんでだよ、と聞く前に、ドラ公はばたばたと事務所へ出ていった。紳士を自称して、なるべく優雅な所作を取るアイツにしては珍しい。こっちに居ろ、つまり居住スペースに居ろってことだろうけど、まあ、従う理由もないし、なんなのか気になるし、と俺も事務所に戻る、と。
 ドラ公が、例の女の人に、抱きしめられていた。
「ちょ、離し――」
「会いたかったわ! 私のドラルク様!」
「……え、あ?」
 俺に気付いたドラ公が、しまった、って顔になる。女の人もそれを追うように俺を認識して、わかりやすく顔を歪めた。思いっきり、不愉快、ってやつ。
「あ……、わ、るい。俺邪魔だったか」
 ドラ公が、居住スペースに居ろって言った意味を遅れて理解し。なのに、脚が動かない。早く戻って、ふたりきりにさせてやらない、と。
「邪魔に決まっているじゃない。泥棒猫」
「――……、」
「な、ッ」
 漫画みてえなセリフだな。息を呑みながらも、そんなことを思う。
「なんてことを言うんだ! いくら君でも許さないぞ」
「あら。どうして? 私はあなたの婚約者なのに。後から来たアレはまさしく泥棒猫でしょう。……まあ、吸血鬼は嫌ですけど、人間の愛人なら何人居ても構いませんわ。もちろん、私がいちばんですものね!」
 婚約者。
 こんやくしゃ、かあ。
 そっか。そうだよな。あんだけでかい一族だから、婚約者ぐらい、居るだろ。
 うん、べつに。大丈夫。俺とドラ公はべつに、そういうのじゃないし。愛人、どころか。ただのセフレだ。そう、だから、なので。
 べつに、俺は傷付いたりする立場じゃない。
「悪い」
 声が震えていなくて、よかった。
 言うだけ言って、居住スペースに潜り込む。ブーツを脱ぐ気にもなれず、扉に背を預けてずるずる座り込めば、ジョンが駆け寄ってきてくれた。
「ヌイヌーヌ……?」
「ん? へへ、どしたジョン。なにが?」
「ヌ……」
 大丈夫か、なんて。大丈夫に決まってる。大丈夫じゃないといけないだろ。
「でも、ジョンも知ってたなら、教えてくれりゃよかったのに」
 勘違いするところだった。婚約者がいると知っていたら、あの日抱かれることを拒めていただろう。そうしたら、ドラ公に不貞を働かせることもなかったのによ。
「……ヌンヌ、ヌヌヌヌヌンヌ、ヌヌ」
「え」
 えっ?
 ジョンは、ロナルドくんが、すき。
 すき!?
「えっ、えー! うれしい! ありがとなあ〜ジョン〜!![#「!!」は縦中横]」
 ぎゅむ、とジョンを抱きしめる。うれしい、うれしいな! かわいいジョンが、俺のことを! えへへ、なんだ、今日はいい日だったのかあ。
ヌヌヌだからヌヌヌヌヌヌヌドラルクさまも……」
「よーし、ジョン! ドラ公に隠れて、こっそりドーナッツ買いに行こうぜ!」
 そうと決まれば善は急げだ。一旦ブーツを脱いで小脇に抱え、ジョンは反対の腕に。ヌンヌン言いながら腕を叩いているから、きっとうれしいんだろう! バルコニーでブーツを履き直し、ひらりと飛び降りる。適当なタイミングで壁を蹴って衝撃を散らせば、この程度の高さから飛び降りるなんて造作もないことだ。
「アレッ財布……あ、うん、ちゃんと持ってる。へへ、よーし、行くぞおー」
「ヌ、ヌゥ……」
 女の子は失恋したら甘いものを食べるって言うし。俺はまあ女の子じゃないけど、役割はボトムだったしさ。悲劇のヒロインを気取って、ちょっと遊ぶ日があってもさ、きっと許してくれる、よな。いやまあ、悲劇のっていうか、俺が悪いだけなんだけど。
 大丈夫。何もなかった顔で戻れば、ドラ公にはバレないさ。

コメント

  1. 匿名 より:

    わぁぁー!リクエストされた方へのイラスト拝見いたしました!!最高にかわいくて大好きです!!!もー!すきです!かいてくださった柗村様もリクエストしてくださった方も、ありがとうございました。