おねだりのおかえし

 すごかった。
 すごかったぞ、我慢をやめたロナルド君は!!
 まず声が甘い。甘すぎるぐらいだ。「ドラルク♡」とか呼ばれてみろ、飛ぶぞ!!
 いつもやたらと大人しかったのも、私に服従しようという姿勢のあらわれだった。それをやめた彼は、私が抱き付かなくても彼のほうから抱きしめてくれたりだとか、キスをしてくれたりだとかしたのだ。もちろん、はじめからなめらかにとはいかず、行動を起こしてからごめんと謎に謝ってきたりしたんだが……そのたびに、いいんだ、好きにしたまえ、と吹き込んでいく。安堵したように彼が微笑むのもたまらなかった。
 そんな彼をとろとろのぐちゃぐちゃにして、お誕生日を終えたのである。記念日だ。彼の誕生日であり、彼が素直になった記念日なのだ。
 かわいいかわいいロナルド君。誕生日がいちばん素直だったな……という感じこそあるものの、それ以降は元に戻ってしまったという訳でもない。そろそろとこちらに寄ってきて、やわらかく体重をあずけてくれる……。こんなに尊いことはない。やや猫っぽい行動もまたかわいらしさを助長した。
 ひとたび現場に出れば、彼は『ロナルド様』になる。
 彼は変わらず吸血鬼を屠ったし、彼は変わらず世間を魅了した。
 しかし……彼の自宅に、あるいは私の城に戻ったならば。
 深海のようにあおいひとみをとろりと蕩けさせて、彼は微笑むのだ。

   □■□■□

 誕生日プレゼントが思いつかない。
 なるほど、ドラルクはこういう気分だったんだな。たしかに見当がつかないと焦る。こと俺の場合は一度祝われてしまったので、おかえしとやらをしなきゃならねえし。俺はどうしてもセックスがしたいからってあんなような要求になってしまったが……、ドラルクはそうじゃないだろうから同じ手は使えない。かといって、欲しがるようなモノがあるのかどうかすらもわからない。ゲームに関してはあいつのほうが詳しいし、話を聞いた時には「予約しておいたぞ!」という報告なことばかりだ。そうなっちゃ先回りができそうにはないよな。
 ううん。
 あいつがしたように、欲しいモノを聞き出すのが正解なんだろうけど……。
 べつに、会話していて言いたいことが言い出せないって訳でもねえんだ。となりに並んでゆっくりしているときにでも、なあ、と言い出せばいい。それ自体だけは……むずかしいことではないはずだけど。
 いらない、と言われたらどうしよう。
 それがやさしさならまだいい。お前からは受け取る価値がないと言われたら。
 これは俺の自己肯定感がどうこうじゃなくて、吸血鬼の習性についての話だからな。吸血鬼はなにかと自分でやりたがるんだ。使い魔を使役することもたしかにあるけど、『自分が作った』使い魔がコトを成している、って部分に満足している。借り物じゃ満たされない。
 俺がしたことも……、あれにとっては、あくまで他人のしたことだ。
 だから……重要なところには入れてもらえない。さっき例に挙げたゲームだって、俺が渡したらドラルクにとっては『自分で手に入れたモノ』ではなくなってしまう。
 はあ、と嘆息したら、枕元にいたツチノコが気遣わしげに頬を舐めた。
「ん、ごめん。大丈夫だ」
 気遣わしげに見えるタイミングなだけで、実際どう思っているのかは俺に知る方法なんかないんだけどな。ジョンはよくヌンヌンと会話しているが……。ヌー語が勉強できるなら、ツチノコの言葉だって解読されたらいいのに――いや、そのためには、こいつを研究に差し出さなきゃならねえのか。それはダメだ。
 脱線した。いつまでもベッドでゴロゴロしてないで、仕事の準備をしなくちゃな。
 
 
 
「ありがとうございました!」
「礼なら依頼料でもらってるぜ。当然のことをしたまでさ」
 口角をあげて伝えれば、依頼人は破顔した。
 高位の吸血鬼に関する依頼は減っている。減っているからこそ千体目に悩んだんだ。ドラルクのおかげか俺に依頼することのハードルが下がったらしく、下等吸血鬼系の依頼がまた入るようになった。今回もチスイコウモリの駆除っていう簡単なラインの仕事だ。当然、ドラルクには声をかけていない。
 笑顔の仮面をきっちりと貼り付けて、完璧な応対をする。ただそれだけの機械的な仕事。やりがいがないとはけっして言わねえけど、虚しさを覚えてないってのも嘘だ。
 それも、全部ドラルクのせいなのに。
 自分らしく笑うことを覚えなければ、虚しいなんて思うこともなかったんだぞ。
 ドラルクのせいだ、そう思うのに、八つ当たりしようという気にもならなかった。むしろ、そんなことをして嫌われたら……俺は二度と、自分らしさの尻尾を掴めない。どこにあるかわからないものを使えと言われて使えるヤツはいないだろう。
 依頼人と別れ、車に乗り込み……ため息をついた。
 悩みがあると城から足が遠のく。ツチノコとかぼちゃを家に置いたままだけど……いまから城に行ってみようか。ここ数日、数週間か? 向こうに寄り付いていない。ドラルクから誘われることは何度かあったが、なんとなく断っていた。いまいちこう、敷居が高いっていうか。
 ドラルクによって仮面が剥がされてから、我慢するのが下手くそになったんだよな。だからきっと、聞きたいことがあるって顔に出ちまう。そうしたら、白状しないとで……白状したら、なんだそんなことか、と笑われるだろう。
 それでも。
 無意味に避けられていて喜ぶヤツはいない。
 メッセージのやりとりだけはあるといえど、だ。
 考えて、結局ツチノコとかぼちゃのために一度帰ることにした。自宅を経由地にし、城までの時間を計算する。多少家でもたついたとしても、ドラルクとことばを交わすじゅうぶんな時間がとれそうだ。朝にはツチノコに心配(?)をかけているから……帰りが遅くなるのはきっとよくないよな。
 時間を添えて、突然だけど行ってもいいか、と連絡してみる。
 ドラルクはすぐさま返信してきて、もちろんだ、待っているよ、とのことだった。まだ愛想を尽かしてはいないらしい。
 ほうと吐息をついてから、エンジンを回した。
 
 
 
 城に行くぞと伝えたら、ツチノコは喜んだように見える。いつもより尻尾が激しく揺れていたからだ。でも、これはもしかしたら怒りなのかもしれねえし……やっぱりことばがわかればいいのにな、と思う。
 かぼちゃのほうもにっこりと笑顔を見せてくれたから、いやではない……はずだ。きっとジョンに遊んでもらうのが好きなんだろうな。
 ふたりを連れて、車を走らせること数時間。森のなかを歩く道にも慣れたものだ。マイナスイオンだかなんだかは結局プラセボなんじゃねえのかと疑っちゃいるけど、実際に呼吸が楽な気もするから不思議だよな。俺の場合は、ドラルクと会えるから、というのが大きいのは理解している。
 依存なんかしたくなかった。
 したくない、と思っている時点で、してしまっているということだ。
 ノックのあとに返事を待たず扉を開けるのがきまりになっている。今日もいつもとおなじようにそうしたら、城に踏み込んだ瞬間ドラルクに抱きしめられた。
 は?
「ロナルド君!!」
「え、あ?」
「はあ、よかった――ほんとに来てくれた。ロナルドくん……」
「そりゃあ、来るだろ。どうしたんだよ」
「どうしたもなにも! ……いや、違うな。こんなところで話してちゃダメだ」
 するりとドラルクの身体が離れて、咄嗟にすがりつきかけた。さみしいと思ったが、たしかに玄関先でうだうだ話していてもよくないよな。ホールなりベッドなりだかで抱きしめなおしてもらえたらいいけど。
 ドラルクは居住まいを正してから、「いらっしゃい、ロナルド君」と微笑んだ。
 おう、という返答は、冷たくはなかっただろうか。
 ホールまでエスコートされて、装備を剥がされる。ツチノコとかぼちゃはジョンが迎え入れた。
「仕事のあとかな?」
「ああ。におうか」
「いや、そうじゃない。でもお風呂先にするかい? その間に軽食を作っておくよ」
「ん〜……いや。ちょっと休憩したいかも」
 退治のあと、ここに来るまで休憩ナシだからな。さすがの俺も疲れている気がする。ドラルクは笑って、わかった、とうなずく。
「軽くサンドイッチでも作ろうか。それともがっつり食べる元気あるかね?」
「んん〜……うわ、悩むな……」
 明確に食べたいモノが存在すれば、こういうときリクエストしたりできるんだろう。でも俺はそういうのに明るくない。ぼんやりとした食欲が明確な形を持ったことなど、両の手以下かもしれないとさえ思う。ひとりだと結局、栄養機能食品になるわけだが……ドラルクの前ではそうもいかない、というか許してもらえない。
「なんだろう……。麺……?」
「麺、麺か。パスタとかはどうだい。そこまで待たせずに作ってあげられるが」
「あ……じゃあ、それで」
 栄養機能食品には麺が多いんだ……というのは、怒られかねねえので隠しておく。
 そうして出来上がったのはミートスパゲッティだった。たしかに作業時間も短いのかもしれねえけど、そうできるのはドラルクの腕だよな。そんなことを思いながら、あっというまに完食していた。おいしい。麺の量自体も俺の胃袋に合わせてあるし、外食よりも脂っこすぎないのがまた食べやすくていい。
 俺の向かいに座ったドラルクは、俺の食事をにこにこと眺めていた。
「よかった。全部食べてくれたな」
「ん、うん。ごちそうさま」
 汚した口を拭きながら伝えるのはバッドマナーだったか。ドラルクに気にしているようすはないけど。むしろ、どこかほっとしているようにも見える。
 ドラルクは皿を水に浸して、ホールに行くよううながした。皿洗いくらいやるよ、という俺の提案は受け入れられないままだ。いいなりになっていた頃ならありえねえ提案なんだけど、ドラルクいわく「中身というのはそういうことじゃない」、らしい。俺にはいまいちむずかしい話だ。
 ホールに戻ってもひとりで待つだけだ。なら、洗い物しながら雑談でもしていたらいい。そうは思うけど……、いま雑談なんかしたら、きっとがバレちまう。でも、それをなんとか表に出さずドラルクについて歩いてみた。ドラルクは笑って、いいよ、見ていてもつまらないと思うけど、と言う。ドラルクは手際がいいから、つまらないとは思わない。それをそのまま伝えてみると、うれしそうに笑ってもらえた。
 しかし、それで葛藤がなくなる訳じゃねえ。
 葛藤は中途半端な視線になって、あれに刺さったようだった。
「ロナルド君?」
「ん、あ、いや。なんでも……」
「……思っていることがあるなら教えてほしい。たとえば、君が会ってくれなかった理由とか、な」
「う……」
 ああ、ほら、やっぱり。
 会わなかった理由、つまりだ。わかってるよ、言わなきゃどうにもならねえ。わかってるけど……、やっぱり、むずかしい。
 きゅ、とドラルクが蛇口をひねる。水の音がなくなって、一気に静かになった。
「ロナルド君」
「……、」
「ごめん。いきなりはむずかしかったよな。洗い物も終わったし、ホールに行こう」
 うなずく。ドラルクは微笑んで、よく拭いた手で俺の頭を撫でてくれた。このまま抱きつきでもしてもっとしてくれとねだったら、いったいドラルクはどんな顔をするだろう。
 まあ、それを実行に移せるなら俺は俺じゃないか。
 連れられたホールで、並んでソファに座る。絶妙にあけられた空間は思いやりだ。ドラルクのやさしさは直接的なものじゃないことも多い。
 棺桶をローテーブルがわりにして、ドラルクはゆったりと紅茶を淹れている。
 これも俺のためのものだ。ドラルクは紅茶を飲めない。血を垂らせば変わるのかもしれないが、聞いてみたことはなかった。とにかく、ドラルクは俺のためだけに……手間のかかる工程で紅茶を淹れる。たくさんの氷で冷やされたアイスティー。かろり、と音を立てたそれを受け取る。油分が流されて、口の中がすっきりとした。
「……おいしい」
「よかった。渋みはないかな」
「ない。飲みやすい、と思う」
 口に合うとか合わないとか、細かい好みが俺にはない。あるのかもしれねえけど、うまく自分では認識できないままだ。だから、どんなにドラルクが意見を求めてきていても……たいした答えは出せやしない。あれもきっとそれがわかっているからか、最近はこうして具体的に聞いてくるようになった。誘導されると、すこしでも意見が湧き上がってきてくれる気がする。
 ふう、と吐息をひとつ。
 ドラルクに視線を合わせられねえけど、その空気はやさしいものだ。だから……、きっと怒られはしない、と、いいんだけど……。
「……なあ」
「うん」
「その……」
 ドラルクはもう一度、うん、と応えた。やさしい声音。俺に圧をかけないように、意識してくれているのがわかる。
「……対価、が」
「対価?」
「そう……対価、が、わからなくて……」
 いつまでもアイスティーをにらみつけている訳にもいかねえよな。ゆっくりあれのほうを向いたが、ドラルクはきょとんとした顔だった。
「ええと、すまない。対価とは?」
「誕生日……。おまえが、やってくれたの、……なにを返せばいいのか……」
「は、……え? 誕生日のお祝いにお返しなんかないだろ」
「あ、違う。その……お前の誕生日、に、俺はなにか、釣りあうモノを出さないと」
「私の? 私の誕生日のお祝いを考えていてくれてる……ってことで合ってるのか」
 うなずく。
 ドラルクはしばらくまばたきを繰り返して、クソデカいため息をついた。
 は?
「ドラルク?」
「は〰︎〰︎〰︎〰︎〰︎〰︎!! ああ、もう、なんだ。よかった……」
「???」
 首がかしぐ。そんな俺をよそに、ドラルクはよかったよかったと繰り返した。
「よかったよ、ほんとうに。君に嫌われてしまったのかと思って気が気じゃなかった。ほんとうによかった……」
「……? お前を嫌う理由なんかないだろ」
「こっちからしたら理由がわからないんだから、突然距離を取られたら不安になるよ。でも教えてもらえてうれしい。もっと早く教えてくれればさらにいいがね」
「そ、……そう、だよな」
 わかっていたことでは、ある。
 やっぱりまだ、心のどこかで……ドラルクは本気じゃないと思っているのかもな。あれを軽視したい訳じゃないはずだ。それなのに……、やめられない。
 でも、このままじゃダメだともわかっているはずだ。
「……ドラルク」
「ん? なんだい、ロナルド君」
「お前にもおなじくらいのなにかを……返したい、と、思う。でも、俺の欲しがったモノは、お前にとっては……おなじだけの価値がないだろう。だから――」
「なくない」
「おまえに……、?」
「価値がなくなんかない。君に触れたいと言い出したのは私だぞ。価値がないなんて思ってるなら、そんなことは言わないだろ」
 思ったよりも強い口調で遮られて、思っていたことと正反対のことを言われて……俺はとっさに反応を返すことができなかった。見つめたドラルクのひとみが真剣で、さらに身動きが取れなくなる。
「あ、……そう、か……?」
「そうだよ。むしろ、私のほうがうれしいことだ。だからあれは、本来君のお祝いにするにはよくなかった。どうだい? あれから欲しいモノは思いついたかね?」
「え、い、いや。俺はいいよ」
「よくないだろ。思いついたらすぐに言うんだぞ。前後半年、だからな」
「……、……」
 あいていたはずの距離はいつのまにか詰められて、俺はドラルクの腕の中にいた。わかった、と小さくうなずくと、ゆっくり背中を撫でられる。やさしい手つき。ほう、と勝手に吐息が漏れて、ドラルクが笑う気配がした。
 でも、不可解なことがひとつ。
「おまえって、俺を抱いてたのしいとか思うのか」
「もちろん。うれしいし、しあわせだし、満たされているよ」
「そうなのか……」
 ドラルクから求めはじめたことだ、と言われたら、それはたしかにそうなんだが。求められたものが提供できていると思えるかどうかは別だろう。そういうことをする相手なら、ふつうは女に求めるはずだと思うじゃないか。
 あれは笑って、俺のことを抱きしめなおす。
「大丈夫だ。そうやって、気になったことはなんでも聞いてくれればいい。ぜんぶにちゃんと答えてあげられるはずだ、きっとな」
「……きっとかよ」
「私にもわからないことはあるからなあ」
 声音は軽く、冗談なのか本気なのかいまいち判別がつかない。それでも……今回のように傷付けるべきじゃないことも、わかる。
 だから、抱きしめられるだけじゃなくて、抱き返してみた。
「ごめん、ドラルク。誕生日……、おまえのすきにしていいからな」
「……不用意にそういうことを言うんじゃない。私は吸血鬼だぞ」
「? 知ってる」
「ハァ……」
 呆れたような嘆息をして、しかしドラルクの腕は剥がれていかない。たのしみだよ、とだけつぶやいて、それきりドラルクは静かになった。俺もまた、目を閉じる。
 誕生日にするって言ったのに、なぜかそのあと抱かれたのは別の話だ。

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