「……嘘だろ」
嘘だと言ってくれよ、なあ!
そんなふうに願っても、愛おしい子はすうすうと寝息を崩さない。そりゃこの子がこうやって穏やかに眠れていることは、この上なくすばらしいことであるんだが……。
「……ロナルド君?」
「うん……」
願いが通じたのか、銀のまつげがふるりと震える。
とろとろとおぼつかないひとみで私を見つめ、彼は言った。
「寝てもつかって、いいからな……」
お前のとなりにいると安心するんだ。
そういうことを彼から――九九九の吸血鬼を斃した退治人から言われるというのは、ものすごいことだという自覚はある。彼に気を許してほしかったし、それが叶って、うれしくないという訳ではまったくないのだ。
……だけど、『これからセックスをしましょう』っていう時まで、安心が行き過ぎ寝落ちるところまでいくとはさ、思ってなかったっていうかさ〜……!!
いや、毎回眠られてしまう訳ではない。最後まで行ったことももう何回もあるし、とろとろのふわふわになったかわいいロナルド君だって何度も拝ませていただいたよ。いただいたけど、それとこれとは別っていうか……!!
問題があるのだって、彼が寝落ちてしまうこと自体じゃない。
そうしないと休まらない状態のことだ。うちにいたらツチノコやかぼちゃのことはジョンが見ていてくれるし、彼自身のことも私が見ている。気を張ることがなんにもなくなる環境を、私もジョンも確かに意識していた。
だけど、まずはおのれの自宅で、ゆっくりと休めるようになってほしい。
事務所だってホームなんだから、そこでも休んでほしいよ。
はじめて彼が私の紅茶に手をつけて、なんて言ったかわかるかい?
答えはね、「これ、筋弛緩剤でも入れてるのか」だよ!
言葉のわりにひとみには警戒を滲ませないまま、彼はこうも続けた。お前の紅茶を飲むと身体の力が抜けて、なんだかあたたかい気がする。でも、眠剤を入れられてるならこんなに穏やかな眠気は来ない、と。うん、眠剤盛られたことがなきゃ、そんな分析はできようもないはずだよねえ!
だけど。
私がやるべきことは彼を追求することではなく、彼の誤解を解くことだ。
「筋弛緩剤など入れていない。誓って、私は君に毒を盛らないよ」
「……そうか?」
「そうだ。だってそうする意味がない」
「意味はあるだろう。俺はお前にとって敵なんだから」
「私は敵をもてなすほど暇じゃないぞ。君と私は相棒なんだろう? 相棒であるなら、どちらかといえば友人だと思うけど?」
「……友人」
カップに視線を落とす彼のひとみは、はじめての日よりずいぶんとやわらかかった。ぼんやりとした声音、どこか抜けた発言から、本来の彼はおだやかなのだと思う。
「はじめてだ」
「?」
「俺のことを、友人なんかにしようとする吸血鬼。怖がられたり、敵視されたりとか、そういうのならいくらでもいたけど……」
「……、」
ゆっくりと、彼がカップを傾ける。
ほう、という彼のため息を、私は今でも覚えていた。
「ロナルド君はさ、やってみたいこととかないのかい」
「やってみたいこと……?」
原稿(いまのところ優良進行だ。じゃないと私も声をかけない)から顔を上げて、彼が首を傾げた。ぽくぽくぽく、としばらく考え込み、それからおず、と私をのぞく。
「……となりで」
「うん」
「お前に寄りかかってみたい……ゲームの邪魔だろうから、なんか、暇なときに」
「やろういますぐやろういまやろう!!」
そんなこといまじゃなくてもいつでもやりますが!?
いつでもできるゲームより、たまにしか会えない君の方が優先に決まってますが!?
彼がシャットアウトしているからなのか、それともただ私の伝え方が下手なのか。どちらにせよ、伝えることを諦めるつもりはない。
「私は君がいっとう大切なんだ。もちろんゲームやジョンも大事だけど、たまにしか君とは会えないだろう?」
「……、」
「頻度が少ないなら、濃く、深く君に尽くしたい。そう思うよ」
ロナルド君は逡巡のあと、ひかえめにこくりとうなずいた。
もぞ、とほんのすこしだけ近づいてくる彼に焦れそうになるけど、ここでがっつりこちらから食いつく訳にはいかないのだ。彼のペースに合わせて、だけど確実に。
ゆっくりと当てられた頭には体重が乗っていない。私を気遣うしぐさはいとおしく、気がついたらきゅうと彼を抱きしめていた。
「いい子。いい子だね……」
「……っ」
ふわふわの髪を指ですく。はじめの頃よりずいぶんと指どおりのよくなったそれは、私の努力の賜物だ。頭皮のにおいを吸いたいのをこらえて、やさしく。
「あ……」
「うん」
「おれ……また、寝ちゃう、かも」
「いいよ。おやすみ、ロナルド君」
「ん……」
……おとなのおとことしての声は出せただろうか?
彼に必要なのは眠るのを我慢できるようにすることじゃない。眠れる場所を増やすことだ。だからいま眠ることをやめなくていい。
……彼がやりたいのはこういうことで、セックスじゃないんだ。だからこう……、彼の体温や低くてあまい声、吐息なんかに反応しちゃいけないのだ!!
寝ても使っていい。
そんなことを言われたって、手を出す訳にはいかない。
私は彼の安堵を得たいのだ。彼を傷つけたり、消費したりするようなことは絶対にあっちゃいけないだろう?
そんなことを考えながら、彼の寝顔を見つめる。それをオカズに自慰をするなんて、そんな気分にもならなかった。おだやかな寝顔を汚すなんて紳士の名折れだ。
このまま翌日まで眠り続ける日もあれば、わりとすぐ目覚める日もある。どうやら今日は後者らしく、ゆっくりとひとみがあらわになった。
とろとろにぼやけた深海のようなひとみが、おぼつかない動きで私を捉える。
「……、……ドラルク」
「おはよう。もうすこし眠っていてもよかったのに」
「……使わなかったのか?」
「使える訳ないだろうが。君は私の大事な子なんだから」
もぞりと彼が起き上がり、まっすぐ私に向き直った。不服そうな表情をした彼は、私にゆっくりと顔を近づける。
「俺は」
「うん?」
「俺も、お前の役に立ちたい。お前が俺じゃ満足できないなら、無理に俺を選ぶ必要なんかないのに」
「え!?」
満足できないってなに!?
私の動揺をよそに、彼は私の両手を握った。先程まで眠っていた彼の体温は高く、手袋越しにもその熱を感じる。
「お前は自由でいるべきなんだ。それが似合ってる。だから、無理に我慢なんかしてほしくない」
「待ってくれ。私は無理に我慢なんか、」
「してるよ。さっきの目を見てわかった」
さっきの目。
彼を見つめていた目?
あれはただ、ロナルド君が愛おしかっただけだというのに!
「俺はお前に、俺を使ってほしいと思うよ。お前が与えてくれるものに、俺はなにも返してやれない。だったら身体のひとつくらいは明け渡したいと思うし……俺じゃあ満足できないなら、お前がほかの誰を抱こうとかまわない」
「な……、」
「お前は、お前のやりたいことをやるべきなんだ」
彼は微笑む。
慈愛に満ちた表情だった。
彼が心の底からそう考えていることぐらいわかる。それが私のためだということも。
それでも。
「私は、君以外に触れようとは思わない」
「なら……」
「だけど、無理に君を抱こうとも思っていない。君が許してくれようともだ」
「……、」
「君に尽くしたい。前にもそう言っただろう。私は君が安心して、心も身体も許してくれる。それがいちばんうれしいことなんだよ」
握られた手をやさしくほどいて、彼を引き寄せた。背中をゆっくりと撫でる。彼はほうと嘆息して、すこしずつ私に体重を預けてくれる……それが、なによりも幸福だ。
「……いい、のか」
「いいよ」
「役立たずなのに?」
「役立たずなんて思わない。思ったことなんかないよ」
「………………、」
「いっぱい頼ってくれ。どんなに急な呼び出しだってかまわないし、どんなに無茶な願いだって叶えてあげるよ。叶えてあげたいんだ」
君に会えることがなによりもうれしいから。
耳元にそう吹き込めば、彼はぐたりと脱力した。きっとまた眠ったのだろう。
それでいい。
それがいいんだよ、ロナルド君。
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