よくよる

 片腕のしびれを感じて目が覚めた。
「……ん……」
 重たいまぶたを開くと、目の前には顔がある。
 顔がある?
「ッ、……、ああ。そうか……」
 跳ね起きることだけは我慢できたが、身体がぴくりと揺れることは流石に堪えられない。それでも腕のなかの存在を目覚めさせることはなく、ほう、と安堵のため息がもれた。これを……ドラルクを疲れ果てさせたのは俺である。
 道具のように扱われることを覚悟していた。
 咬みつかれ、吸い殺されることさえ覚悟していた。
 だけど実際は、ゆるく蕩けるような快楽を教え込まされた。
 慣れないものを、キャパオーバーになるまで与えられたんだ。情けないことに俺は気をやり、後始末をすべて押し付けてしまったらしい。
 吸血によって多少取り戻したって、身体そのものの弱体化を誤魔化しているだけに過ぎないんだから……結局疲れて寝落ち、って状態になってしまった、かわいそうなドラルク。
 吸血鬼らしいあれにとって、ベッドで眠るなんて、きっと本意ではないはずだ。
 こけた頬を枕にされていないほうの手で撫でてみる。普段なら固められた前髪は、さらさらになって目元を隠していた。ふだんと違うところなんてただそれだけなのに、ずいぶんと幼なげな印象を受ける。
「……、」
 申し訳がない。
 俺のほうが体力も力もあるんだから、すべてを請け負うべきだったのに。
 せめてもの気持ちで、ドラルクを慎重に抱き上げる。揺れで起こしたり、あるいはうっかり握りつぶしたりしないか不安だったが、なんとかうまくいったようだ。
 バスローブ姿の吸血鬼を棺桶に収めると、ふ、と勝手に吐息が漏れた。
「おやすみ、ドラルク」
 そう言うのと、ソファに置き去りとなっていた端末が震えるのはほぼ同時。

   □■□■□

「ん」
 ゴゴガガガッ、と端末が不快な音を立てる。それを机の上から取り上げてみれば、ドラルクからの着信だった。しかし端末は十七時を半分ほど越えた程度の時間を示している……ドラルクが目を覚ますには、まだ早い時間。
「……、」
 まさか、棺桶に杭を打たれでもしたのか。一瞬考えて、首を振る。仮にその犯人が俺へ連絡をしたとして、ドラルクの端末をあっさりロック解除できるとは考えにくい。
 ただ早く目が覚めただけだとしたら、電話じゃなくてメッセージでもいいだろうに、とも思う。思ったが、だからといって電話をとらない理由にはならなかった。
「はい、ロナルド」
『――どうしていないんだ』
「?」
 いない。
 ……ああ、帰った理由か。
 そう理解して口をひらくより先に、ドラルクの声がする。それはまるで、憤慨でもしているような声音だ。
 いや、おそらく、ではない。
『共寝をした恋人が目覚めたらとなりにいなくて、それどころか姿すらないなんて、おかしいことだとは思わないのかい』
「……、」
『目が覚めたら棺桶にしまいこまれていて、君の痕跡はほとんどない。そんな状況に私がどれだけ狼狽えたか、わかる?』
 共寝。
 こいびと。
 隣にいないのはおかしい。
 おかしい……。
 さっと言葉が出ない俺に、電話のむこうで訝しむ気配がした。そのあたりで、俺はようやく理解する。
 あの行動は、ものだったのだ、と。
 だけど、そんなの……。
「――、……!」
『……ロナルド君?』
「し……、らなかった。おかしいことだったのか」
『へ』
「俺はただ、お前が疲れて寝落ちたんだと思って……お前らは棺桶で眠るのがふつうなんだから、そこに運んだら喜ぶと思ったんだ。……帰ったのは、仕事が入ったからだけど……」
 おかしいことをしているなんて、さっぱり思っちゃいなかったんだ。むしろ、俺は褒められるのかと思っていた。こい、……大事なひとを、慮れているのだと。
「悪い、……うまくできなかった」
『いや、……いや、いいんだ。でもせめて、書き置きぐらいはちょうだいよ』
「書き置き?」
 あわれっぽい声が出た。そんな声を出したらドラルクは甘やかしてくれちまう……わかってたのに、そうさせないべきだったのに。だけどそれを悔やむ前に、向こうの言葉へ反応していた。
『仕事が入ったから帰る、ってさ。その一文があるかないかで大違いだぞ』
「そ……うか。わかった……」
 それは、……たしかに、そのとおりだ。なんでそんなことも思いつかなかったのか、いまとなってはまったくわからない。みょうに高揚してもいたのだろうか。
 ふう、という嘆息の気配。
 身体がびくつく。
 だけど、それは危惧した呆れではなかった。
「ドラ、」
『ごめんね。はじめから言えばよかったんだ、君と夜を迎えたいんだって。ああでも、君が仕事優先なのはいつものことだし、そこを咎めたりするつもりもないからな』
「え、あ。……いや、お前が謝ることじゃない。俺に常識がなかっただけなんだろう」
『常識って言うか、情緒っていうか……まあ、うん。たしかに君には足りないものがあったけれど、それは私も同じだ。だから両成敗。私は君のためにごちそうを作る、君は私のために早く帰ってくる。それで精算するのはどう?』
「早く帰るって……」
 俺のホームはあくまで事務所と自宅なんだが。
 まあ、でも、間違いではない。
「……そんなことでいいなら」
『うむ! ……長々と電話してしまったが、問題なかったかね? 仕事で帰ったならいまも仕事中だったりしたんじゃ』
「いまかよ……依頼人が帰って、退治に出るまでのすきまだった。遅刻もしない時間だから問題ない」
『そっか、よかった。私は不要?』
「たぶん。いまのところは」
『現地に行ったら変な依頼パターンじゃないといいねえ。その場合はすぐに呼びなよ』
「わかってる。……じゃあ、
『! ――うん、また!』
 たった二文字の勇気は、正しくドラルクへ届いたようだった。
 

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