なんでもするって言ったからね(合同誌再録)

 ――そろそろ、限界かもしれない。
 ドラドラアイに間違いはないのだ。それが我がドラドラキャッスルマークⅡにおける、大事な大事なゴリラ君のことであるならば、なおさらである。
 ふらりと身体を傾けることすらなく、目の前の彼は進んでいく。私が追えるギリギリの速度だが、彼がひとりで歩くのならばもっと早いことを知っていた。疲れを自覚していない彼が、無意識に力をセーブしてくれているのはいいことだ。私ではゴリラを運ぶことがかなわないし、とはいえ誰かに任せるのも剛腹なので。
 彼はこちらを振り返らない。普段ならば、ジョンに買い食いを勧めるであろうヴァミマの前もスルーして、スタスタと歩いていってしまうのだ。
「ヌ……?」
 聡いジョンも気が付いたようだね。腕の中の彼が見上げてくるので、うなずきを返してやる。お兄ちゃんマジロは、決意の握り拳を作ってみせてくれた。
 事務所まで向かうエレベーターでさえ、彼は無言だ。この状態の彼を突っつくほど私もジョンも短慮ではない。普段であれば気にしない静寂が、今はチリチリと我々を焼くようである。
「ん」
「おや」
 ……私はエレベーターのドアに挟まれれば当然死ぬし、塵が奥に入り込んでまあまあ大変なことになる、のだけれど。
 それにしたってさあ、君、今の状態でエレベーターマンなんてするんじゃないよ。目の下のクマは夜明け前だからということにしても、せっかくの蒼天のようなひとみが濁ってしまっているじゃない。銀の髪がくるくるしているのもいつもだが、輝きが薄くなってパサついているし。
 ダメだダメだ。
 五歳児だなんだと揶揄してはいるが、彼も成人男性。遊びに誘うことはあっても、依頼を引っ掻きまわすことはあっても、仕事自体に口を出すことはあまりないのだ。普段であれば、ね。
 そんなことを考えつつ、彼のエスコートに従ってエレベーターを降りる。今度は私が彼をエスコートしてやるべきか。少し考え、彼がおとなしく従わないだろうと結論を出した。弱れば弱るほど、彼は強がる悪癖があるので。
 さっさと事務所を突っ切って、居住スペースへ。キンデメさんに目配せをすると、彼もまたロナルド君の状態を察していたようである。私とキンデメさん、ふたりがかりで言いくるめて、なんとか彼が休むという選択肢を選ぶかどうか、という線だが。
 しっかりと事務所を施錠し、ビービーと懐くメビヤツを撫でてやってから、彼も居住スペースへと上がってくる。
「ただいま」
「はいおかえり」
『おかえり』
「ヌヌエリ!」
『おかえりなさい〜』
 ブーツを脱ごうとして、若造はぱちとひとみを瞬かせた。
「……?」
「どうしたゴリ造。さっさと脱いで上がってきなさいよ」
「あ? そっち行ったら殺す。……そうじゃなくて、」
 そうじゃなくて、なんだと言うのかね。挨拶くらいならいつでもしている。……、まさか我々が寝かしつけようとしているのがもうバレたのか?
 ロナルド君はなにか言いたげにもにょりと口を動かして、結局なにも言わなかった。
 まずは私がマントを脱ぐことで、ロナルド君にも外套を脱ぐように促す。彼は素直に私に倣ってくれたので、まずは第一歩だ。
「貸したまえ」
「あ、……おう」
 なんでそこでちょっとギクシャクするのかね。これだって、いつもやっていることなのにさ。彼の外套から香ばしいゴリラ臭がするところへ、定期的にドラちゃん特製の重曹スプレーを吹きかけることで、彼にさわやかハンサムの仮面をうまいこと被せてやっているのだ。
 聞いて答えてくれるかねえ。
 答えてくれない気がするけど。
「元気印の五歳児が、体調不良かね」
「五歳児じゃねえ!![#「!!」は縦中横]」
 ドムンと拳で撃ち抜かれる恐怖で死ぬ。んー、風圧には変わりないようだけれど、退治に関連するスペックを維持するためにほかを削っているだけだからね。ナスナスと再生しながら移動して、キッチンへ向かおうとする。
 が。
「……、」
 ここで、砂の端をつまむとか、そういう意思表示ができる子だったらまだいいのかもしれない。
 けれど、あの子にはそれができないのだ。
 ただ立ち尽くして、私の再生するさまを眺めるだけ。
 結局、私が再生し終わったのはダイニングテーブルの手前だった。
「ロナルド君」
「ッ、! な、なんだ?」
「言いたいことがあるのならハッキリ言いたまえよ。いまさら我々の仲で渋るようなことがあるのか?」
「――……、」
 ピチピチとしたインナー姿のまま、彼は俯く。そのしぐさだけで、言いたいことがあるのは丸わかりだ。
 だが、ここでつつくべきではないかな。
 主張することが、悪だと感じているうちは。
「まあいいか。若造、なにか腹に入れるだろう? そろそろ卵の期限が近いから、それでなにか作ってやろうか」
 許しを告げてやれば、彼はほっとしたように息を吐いた。ヌンヌンと先導するお兄ちゃんマジロに連れられ、洗面所へと消えていく彼を見送りながらキッチンへ。
 卵の期限が近いのは本当だ。お菓子作りなどに使うことも多いから普段から多めに買っているが、あえて残して、あの子の目に入る位置に置いておいた。『期限が近い、だから食べなければいけない』という名目でもって、無理矢理腹に詰め込ませる算段である。天才だな。
 鶏ガラの粉末を溶かして、溶き卵をくるくると流し込む。本来なら具を入れたいところだけれど、下手に提供しすぎると無理に受け入れようとして吐き戻す、とかやりそうだからね。卵スープのコツは、あまりかき混ぜすぎないことだ。ふわふわと泳ぐ卵たちに、ニンマリと口角が上がる。
「ヌーヌ!」
「わ、ジョン! 待ってって!」
 ロナルド君をジョンがヌイヌイと押し出してくる。紳士的にはうやうやしく椅子を引いてやりたいところだけれど、それを受け入れてくれる若造ではないし、普段と違うことをすればするほどあの子は萎縮するだろう。エスコートはジョンに任せよう。
 いっぴき分の卵スープを器にうつし、私もダイニングテーブルへと。
「ほら。舌を火傷しないように」
「……、うん……」
 あら。
 あらあら、本当に限界かね?
 トゲトゲしている気力さえも無くなってきたとしたらまずいぞ。
 平静を装いながら彼の向かいに腰掛け、様子を伺うことに。
 彼はスープのカップを両手で包み、ゆびさきを温めている。じっと見つめたって、茶柱が卵スープに立つわけがないのにねえ。
「猫舌ルドには熱すぎたかね」
「ん……いや。大丈夫……」
 あたたかいな、と呟いて、それから彼がこちらを向いた。
「……ドラルク」
「ん?」
「あの、さ。……ありがとう」
「おや! ついに城主のありがたみがわかったかね」
「俺の事務所じゃ!![#「!!」は縦中横] でも、……そうだな。ありがたみ、みたいなのは、ずっと感じている、と思う。それで、最近ずっと、……考えてて……」
 おやおやおや!
 ほかほか卵スープが思ったより効いたぞ。でも、まだ口に入ってないんだよなあ。お決まりのやりとりでブチ抜かれた身体を再生させつつ、ちょっとつついてみることにした。受け入れ態勢があるんだぞ、と示してやるためだ。
「どうしたのさ。話くらい聞いてやるから、冷める前にスープを飲んでしまいたまえ」
「……おう」
 カップに添えたレンゲを、ロナルド君がようやく手にする。それにジョンも安心したのか、ヌフー、とスープを冷ましはじめた。あー、私もホットミルクとか用意すればよかったか。ま、かれらを眺めているだけでも低燃費な私はしあわせで腹が膨れるしな。頬杖をつくのはマナー的に微妙だが、頭は重いから支えたいのだ。
 レンゲにすくわれた、ふわふわの卵たち。ロナルド君も慎重に冷ましてから、それらをゆっくりと口へ運ぶ。やわらかな咀嚼のあと、たくましい喉仏が上下した。
 思わず、ほ、と吐息が漏れる。
 あ、マズったか。
 ちろりと見上げる、彼の視線。
「……うまい、よ。んな心配しなくても」
「んあ、あー。そうかい、そりゃあよかった」
 心配しているのは味じゃなくて、君なんだけどな。
 でもまあ、その勘違いに乗ってしまったほうがいまは丸く収まるのもたしかだ。我らが愛しのジョンもまた、ヌイシー、と頬を撫でている。ロナルド君もスープを口に運ぶ作業を再開してくれたからよし。
 しばらくは静かな時間だった。
 かすかに食器が触れる音、キンデメのポンプの音。部屋にある音はそれくらい。
 やがて、スープのすべてを腹におさめたいっぴきが、ゆっくりとレンゲを置いた。
「ごちそうさまでした」
「ヌヌヌーヌヌ!」
「はい、お粗末さま」
 さて。
 ここからが本題なわけだけれど。
「それで? 君はなにを考えていたというのかね。このドラちゃんが聞いてあげようじゃないか。言ってごらんよ」
「……、」
 もにょ、と口を曲げて、空になったカップを見つめるロナルド君。けれど決心したらしく、すいとその顔があがる。
「……お前に、……俺がやれるものを、考えてた。でも……結局、お前が欲しがるようなものを、俺は持ってないんだ。だから、……」
 空のカップが彼のてのひらに包まれた。もうスープは入っていないから、そんなことをしたって彼があたたまることはないのに。
「……なん、でも、する。……もうちょっとで、いいから……ここにいて、ほしい」
 ふうむ。
 そう来たか。
「――じゃあ、早速やってほしいことがあるんだけれど。いいかね」
「っ! な、なんだ?」
「洗面台で歯磨きしておいで。シャワーはもう明日起きたら入ればいい。歯を磨いている間に濡れタオルを用意しておくから、軽く身体は拭いてね。それが終わったら今日はもう寝なさい。わかった?」
「あ、……、あ? は……」
「五歳児には一気に指示出ししちゃダメだったか〜? 歯磨きだよ歯磨き、ついでに顔ぐらいは洗ってもいいか。ホラ! 動く!![#「!!」は縦中横]」
「え、はあ!?[#「!?」は縦中横] 五歳児じゃねえって、わ、わ、ジョンまで!」
 お兄ちゃんマジロの面目躍如というものだね。介護はジョンに任せ、私は若造のPCへ向かう。明日は仕事が入っていたはずだから、リスケしてやらなければ。あんまり早くタオル温めても冷めちゃうからね。
 はーまったく、手のかかるかわいい子!

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